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梅花節と建国記念の日 [かわうそ@暦]

□梅花節と建国記念の日
 今日、 2月11日は建国記念日。明治憲法下の時代には紀元節(きげんせつ)と呼ばれる祝日でした。
この紀元節は「梅花節(ばいかせつ)」とも呼ばれました。上巳の節供が桃の節供、端午の節供が菖蒲の節供というように、節目となる日にその季節の代表的な植物の名を取って呼ぶことがあるように、立春過ぎのまだまだ寒さの残るこの時期の紀元節には、他の花に先駆けて咲く花の兄とも呼ばれる梅の名を付けて呼ばれたものと考えられます。東京での梅の開花の時期は 2月の始め頃といわれていますから、もうどこかで梅の花が咲いているのかも。もっとも、今年は東京でも大雪が降ったばかりという寒さですから、梅の開花は梅花節の後かも知れませんね。

◇現在の「建国記念の日」の日付
 国民の祝日に関する法律には建国をしのび、国を愛する心を養うというのが建国記念の日の意味として国民の祝日に関する法律に書かれています。国民の祝日に関する法律には、それぞれの祝日の日付と意味が書かれており、その書き方は次の例のようになっています。

 元日 一月一日
  年の始めを祝う。

 成人の日 一月の第二月曜日
  おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。

 建国記念の日 政令で定める日(2月11日)
  建国をしのび、国を愛する心を養う

 これをご覧になってお気づきでしょうか? 祝日法には、祝日名とその日がいつになるかが書かれ、その後にその祝日の意味が書かれています。他の祝日の多くは、「元日 一月一日」のようにその日付が直接書き込まれています。また「成人の日 一月の第二月曜日」のような日付が移動するルールを書いたものもあります。ところが、この建国記念の日に関しては一風変わった書き方になっています。「政令で定める日」というのがそれです。これは、戦後に新しい祝日の候補リストを作った際に、戦前の紀元節は GHQから、国家神道の復活に繋がるものと考えて、紀元節の復活は認められませんでした。

◇建国記念の日が認められたのは昭和41年
 国民の祝日に関する法律が誕生したのは昭和23年のことですが、GHQ の反対にあって、建国を記念する日はその法律によって新たに決定された祝日の中からは漏れてしまいました。その後、GHQ の統治が終了した後も建国記念の日の祝日化とその日付については賛否が分かれ、なかなか決着がつかず、なかなか祝日となることが出来ませんでした。その日付については、伝説上の神武天皇の即位日を根拠としていることに抵抗感のある人々も多かったことも、建国記念の日の祝日制定が遅れた理由だと考えます。その結果、「建国記念の日」を祝日にするけれど、日付は決めきれないので別途ということになってしまったようです。祝日化自体についても、やはり抵抗感があったためでしょうか、「体育の日」と「敬老の日」という祝日化することについて誰一人反対することが無さそうな二つの祝日と同時に祝日化を図っています。なんだかどさくさに紛れて祝日化してしまったかのようです。いろいろ賛否の有った日付に関しても結局は、日本のように長い年月をかけて自然発生的に生まれた国家の生まれた日が伝説的であるのは致し方なく、国民の多くがその伝説を知っていれば、それが必ずしも歴史的な事実である必要はないという至極常識的な考えによって、旧来の紀元節と同じ日付に落ち着いたようです。そのため、この日は建国の日ではなくて、建国を記念する日なのでした。私達もただ形式的にでなく、本来の「建国をしのび、国を愛する心を養う」という意味を考える日として、今日を祝いたいですね。
                        (『2018/02/11 号 (No.4152)』の抜粋文)
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